Port City: On Mobility and Exchange

Port City: On Mobility and Exchange

  • 作者: Ursula Biemann,Paul Domela,Paul Gilroy,Maharaj Sarat,Tom Trevor,Claudia Zanfi
  • 出版社/メーカー: Arnolfini Gallery Ltd
  • 発売日: 2007/08/14
  • メディア: ペーパーバック
  • クリック: 3回
  • この商品を含むブログ (1件) を見る


誤訳(を恐れず・気にぜず・厚顔無恥に)シリーズ

【イントロダクション】
トム・トレバー


定義に即して言えば、港湾都市とは、陸と海の接点に位置しており、2つの本質的で物理的な国家の間の敷居を跨いでいる。ある国家から別の国家へのゆるやかな移行はなく、ビーチと異なり、港は都市の中心部に、船から陸への急激な移行をもたらす、深い岸壁を提供している。それ故、「差異」の維持は、港を定義する上で本質的なことなのだ。


伝統的に、港湾都市はより広い世界への入口として見られている。交易と産業を通じて、港湾都市は、商品や金銭のみならず、人々や観念の運動を促進する、異なる国々や文化との接触と交換の地点を描き出してきた。関連して言えば、港湾都市はそれ故に、彼方の世界との抽象的な境界線を如実に示す「ホーム」と呼ばれるものについての、外的な境界を定義してもいる。このように、港湾都市は文化的な交換の象徴的な場所なのである。港湾都市は進入と出発の地点であり、国民国家の想像的な身体の口なのであり、異質なものが馴染みあるものと混ざり合い、内陸のものが海の交易によって確実に汚される場所なのである。


もちろん、港の主たる機能は通商、すなわち利潤のための売買にあり、基本的な経済的利害関係が、人間同士の再生産の相互作用の根本にある。グローバリゼーションの到来にともない、多国籍企業の利害は、伝統的な国民国家の利害から断絶しつつある。以前は港が文字どおりに異なる「領土」間の交換の場であったのに、グローバルな資本は特定の土地への執着を持たない。歴史的に、港湾都市造船業に従って発達してきたが、労働の港は今日、ますます、文化的な活動や国民生活から一般的には切り離されている。コンテナターミナルは周辺部へと再配置されており、極めて厳重で、密閉された輸出入の場所になっている。それ故、港湾都市は、物理的な「母国」間の接続部分としての新たな役割を前面に出している。すなわち、労働者と消費者が存在する場所であり、グローバルな資本主義の抽象的な「ネットワークの力」そのものなのである。


港湾都市では移民の管理に高い優先順位が付与されることは、グローバリゼーションの徴候でもある。しばしば言われる、経済移民の仮定的な侵略に対するヨーロッパの「要塞化」は、ヨーロッパ人のアイデンティティ、あるいは「母国」を、労働者の増加による現実的な危険よりもグローバリゼーションの文脈で再定義することに、より密接に関係しているとも言いうるのである。実際に、ヨーロッパで雇用状況が悪化しているとすれば、製造業が低賃金労働者が移民の効果以上に搾取される世界の貧しい地域へと再配置されている以上、十分にありうることである。グローバルな経済は、移民に仕事とより良い生活の夢を求めて世界中を旅するように強いる、新たな流動性の状況を作り出しており、そのプロセスにおいて、港湾都市は、世界規模の人間の流れの、重度に管理された交差点となっているのである。


労働の外注化、世界規模での産業の再配置、人的資源の搾取という点での、グローバルな経済の現状の主たる先駆者が、大西洋上の奴隷貿易である。18世紀、イングランドの富の多くが、僅かな商業的ベンチャーに多大な財産をもたらした一方で、いまだ明らかならざる数多くの犠牲者を恐るべき惨劇と非人道的行為のもとに晒した、この野蛮な交易によって生み出された。大西洋上の奴隷貿易は、最終的には、何百万もの死の責を負ったのである。今もなお続くその影響は、今日の我々にとっても未だ重大なものであり、現代の文化において再生産されており、多くのアフリカの国家の社会で貧困が継続するのと同様に、社会での権力の不平等な配分につながっているのである。


2007年は、議会によってイギリスの奴隷貿易が廃止されてから200周年である。しかし、奴隷制については単に歴史の一部分にすぎないかのように誤解されがちである。奴隷制は今日もなお、伝統的な家庭内奴隷、企業労働者、若年労働者、国内・移民労働者、違法労働者、性労働者、結婚の強要、強制労働といった形で、強固に存続しているのである。国際反奴隷制協会は、少なくとも2700万人の人々が、現在も奴隷制的な状況に置かれていると見積もっている。


我々がグロバリゼーションの文脈で現代の奴隷制や移住の強要といった問題に直面するとすれば、これらの行為の歴史や経済と私たち自身の関わりを追求することが、私たち個々にとって極めて重要になるだろう。現代美術は、自己批判の問いと考察のひな形を与えてくれる。いかに「私の」経験が、広い世界へ、ひいては本来的に政治的で、社会的正義にとって重要なものとして翻訳され、再提示されるのかを追求する空間となるのだ。『港湾都市』は、作品を通じて今日の世界の流動性と交換の新たな文脈に応答する芸術家たちの射程を提示してくれるのだ。