すさまじい走りっぷりと、丁寧かつ念入りな一歩一歩。

ランシエール―新〈音楽の哲学〉 (哲学の現代を読む 5)

ランシエール―新〈音楽の哲学〉 (哲学の現代を読む 5)


市田さんの猛烈な走りっぷりに圧倒されるばかりだった。ので。もう一度読むことになると思う。ただ、読んだ所感というかインパクトをとりあえず。


月並みな感想だけれど、とにかくすさまじい書物だった。ランシエールのこれまでの足取りを抑えつつ、その思想を音楽につなげるというとてつもない目論見が示される。文学の人であるランシエールを音楽に持ってくるという試み。マラソンのように果てしない目的地を目指すことが表明されると同時に、それをひたすらダッシュで駆け抜けるというような感じ。「マジで!!」と、ただ唖然とするほかない。市田さんは本当に、読者がついてこられないほどの猛ダッシュで走り始める。


しかし一方で、途中でタクシーを呼ぶようなことは決してない。市田さんは決してサボらない。足取りはダッシュする一方で、まるでゴールに向かって一枚ずつタイルを敷きつめるように、その一歩一歩が極めて丁寧だ。そのタイル一枚一枚の意味や、本当にゴールへつながるピースであるのか、読者は不安でたまらなくなる。それでもひたすら市田さんは走り続けている。ノイズや歓声に脇目も振らず、というよりもむしろ、そのノイズや歓声すらも、市田さんの疾走を目の当たりにして、ゴールへのピースとなっていくかのようだ。すさまじいスピードであれよあれよという間に、音楽へと向かう整然とした道が出来上がっていく。その上を果して自分が走ってよいのか、ためらってしまうほどの鮮やかさ。ランシエールの哲学はこうして、音楽の哲学というゴールを見る。そしてゴールの喜びに浸る間もなく再び、スタートを切る。音楽という新しいコース。しかし、どこが終点なのかはわからない。しかし、猛ダッシュで走り始めているランシエールの哲学が、そこに確かにいるのだ。


とりあえず、もう一度、読まなければならない。その敷き詰められたピースの一枚一枚を仔細を確かめていく作業として。自分の場合は歩きながらでしかないけれど。


ところで、自分がたくさんのチャンスを無駄にしてきたことがよくわかった。残念でならん。