見るべきものは全て見た by新中納言知盛

選挙は小泉さんの目論見がズバリ当たり、自民党が圧勝。帰省して選挙を観戦したが、あーあという感じ。特に野中さんが押す候補が落ちたのはかなり衝撃。なんかまるで大政翼賛会みたいな(笑)。まあ、民主国家日本にはそんなもんはもはや現れないと自信をもって胸を張る方が多いんやろけど…。

今回の出来事をあえて過去の事例と比べてしまえば、1978年のサッチャー保守党の大勝利とそれに続く20年あまりのサッチャリズムの始まりに似ているように思う。従来の下からの意見汲み上げではなく(これが民主主義の建前の重要な一部ではあるんやろけど…)、「社会」「公的」「国民的」みたいな公的語彙(Public Idiom)をうまく用い、上からテーマを呼びかけていく政治がいよいよ本格的になった点が、その理由として挙げられると思う。社会にとっての支配的な流れをうまく構築し、呼びかけられた側はその支配的な流れに乗るべく、呼応する。そうした新しい状況設定に誰もが太刀打ちできんかったわけで。

小泉さんはそうした意味で、非常にサッチャー的やね。「社会的」「公的」という飾り付けを自ら(のスローガン)にまとわせることに成功したし、支配的な流れに非常に忠実やったし。今回は「The great right show」(右派の大舞台、一大劇という感じか)に太刀打ちする言葉を誰もが持たず。方々で批判されているさまざまな政策やテーマも「公的」「社会的」などといった言葉を背景に、ずいずい進められていく可能性は高いんやろし、状況に割り込む方法を見つけることが、さまざまなカウンター・パートにとって最重要な急務となるやろね。


・なぜ、保守政党が「改革」を名乗るのか?
・そもそも、なぜ「改革」が必要とされる、それは「誰」に向かって呼びかけられているのか?
・現在の状況の深層にあるものは何か、そうした流れを変え、新しい位置取りを得る方法は何か。


かと言ってただピュアーにナイーブに民主主義の危機だとか、小泉さんを独裁者呼ばわりしてもしゃーない。確かに今回は「ワイドショー選挙」やったけど、それに対してメディア・リテラシーとかを掲げても、現在のメディアが構造的に抱え込んでしまっている役割の前ではそれにも限界があるやろし…。
アルチュセールは「イデオロギー装置」の論文の中で、大文字の他者からの呼びかけに呼応して初めて、人は主体になると述べている(たぶん…)。国民国家の枠内で政治的な力を示すには、選挙という制度も含めて、暗黙の舞台装置のあがる(呼びかけに応じる)しかない。今回小泉さんを支持した人たちも同じく、メディアというイデオロギー装置を通じた呼びかけに応じたに過ぎない。彼らは、ついに正しき主体となったわけで。
だから、こうした構造や仕組みの中で、小泉さんが使っている公的語彙や、それへの人々の対応を見ていくことが重要なのではないかと思うのですが。
というわけで。